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 母屋の奥にかまえる酒蔵

 二束のわらじを履く苦労とやりがい

 街中に敷地を有する杉井酒造は、高い煙突を見過ごせばそこが酒蔵だとは気づかないかもしれない。
 一見古風な日本建築の民家かと思うが、ニワトリ小屋を横目に見つつ昔ながらの母屋を抜けると、大きな酒蔵の建物に迎えられるのだ。それはあたかも異空間へトリップしたかのようである。

 天保13年(1842年)に創業し、現当主の杉井均乃介社長で六代目を数える老舗の蔵元。現在酒を醸している酒蔵でさえ大正時代に建てられたものだというから、異空間とまでいかないまでも、ゆるいタイムスリップ程度ならあっても不思議はない。
 そんな違和感を抱きつつも、生活のなかに酒造りが浸透している自然で伸び伸びした空気になぜかホッとさせられる。
 杉井酒造が杜氏を呼ぶことをやめて6年目になる。杜氏を呼ばないということは、酒は誰が醸しているのか?
「新しい試みを杜氏に頼むのはどこか気が引けるけど、自分でやる分には遠慮しなくていいですから」
 自らそう語るように、この6年間杉錦を醸してきたのは杉井社長なのだ。確かに蔵の経営者の立場と、酒の味だけに集中している杜氏とでは、様々な要点に対する意識がちがって当然だろう。杉井社長のように自ら杜氏となって自分のしたいことができるのは、他の蔵元から見たらうらやましいことなのかもしれない。
 だがいいことばかりではないようだ。
「造りをするようになって、外回りや出張など外にでる機会が1/4に減りました」
 体力的な要素も重要だ。最近では杜氏の平均年齢が60代前半といわれているが、その人たちも仕込みの時期になれば半年間休みなしで蔵にこもる。
「自分が杜氏の立場になってみると、人によっては70歳くらいになる杜氏がいまだに酒造りをしているのはすごいことだと思いますよ」
 いいことも辛いこともすべて自分自身で受け止める。確かに二束のわらじを履きこなすことは大変な作業だが、杉井社長の表情にはどこか充実感がみなぎっていた。
 現に杉井酒造で造られる杉錦は、これまで様々な鑑評会で金賞に輝いた実績がある。この結果はまさに杜氏としての杉井氏と、社長としての杉井氏が足並みをそろえた結果であるといえるだろう。
 社長はまだ48歳。これからも杜氏の平均年齢を下げるべく、奮闘していただきたい。
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仕込み中のタンクには微生物が詰まっていて「プクプク‥」となにやら言葉を発している。
杜氏たちはそんな彼らのメッセージにも耳を傾けるのだろうか。

タンクが鎮座する各部屋の壁は、吹き付けたスチロールにより保温性が高められている。
これは仕込みの時期が過ぎればそのまま貯蔵庫とするためだ。大胆かつ合理的な手法である。

 純米酒にこだわりを

 一人二役をこなす多忙な杉井社長が今、追及しているお酒のひとつに“生もと”と“山廃”がある。
 それぞれどういったものかを詳しく説明するにはスペースが足りないので、簡単にいうと両者とも酒母の製造法だ。この製法によって醸される酒は濃醇な味わい、とくに酸味に深みが増す。
 どちらも近年注目されつつあるが実施している蔵は僅か。というのも現在の酵母造りの主流は“速醸仕込”と呼ばれる二週間ほどでできるやり方に対して、生もとや山廃は一ヶ月ほどかかる。しかも相手が天然の微生物だけに、温度管理をはじめとする作り手のコントロールが難しいのだ。
「きっかけは秋田県で造られる“田从”(たびと)の山廃純米でした。静岡にいると生もとや山廃の酒を飲む機会があまりなかったし、飲んでも感銘を受けるものはありませんでした。しかし田从はうまかったんです」
 その出会いによって杉井社長は純米酒にするのなら生もと、山廃にするのがいいという考えに至った。純米酒は精米歩合が低いと老ね(ひね)やすくなるが、生もとや山廃は意外に老ねとマッチングする。それまでは老ねさせないために55%まで磨いていた純米酒の精米歩合を60%に下げた。
 ただでさえ杜氏と経営を兼任しているうえで、手間のかかる酒母造り。労力を惜しまないその尽力には脱帽するばかりである。
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杉井社長はとても穏やかで素朴な方。しかしひとたびお酒の話になると、その熱い思いを語る口がとまらない。
杜氏と経営者の二役をこなす原動力はこのお酒に対する熱い気持ちなのだろう。
杉錦の生もと、期待しています!

チャレンジ精神がお酒に磨きをかける

 今回の取材では幸運にも仕込み中のタンクを見させてもらったが、プクプクと泡のあがる姿はまさに生き物だった。
 杉井酒造では日本酒はもちろん、焼酎やみりんも製造している。焼酎といえば既存の米焼酎に加え最近では芋焼酎にも挑戦しているという。現在の蔵人は3人。少人数ながら多岐にわたるチャレンジ精神、静岡・志太の酒はこうした元気な社長や蔵人たちに支えられて成長しているのだとあらためて実感した。
 そういえば、今期の初しぼりである本醸造「きんの介」。きんのすけ‥どこかで聞いた覚えのある名前だと思ったら、杉井社長のお名前だった。
 きんの介はもろみを酒袋に入れて吊るす“しずく取り”でしぼったお酒で、ヤブタや舟と違い時間がかかるうえ量も取れない。
「しずく取りは趣味みたいなものです」
 なるほど、その“趣味的”なニュアンスの商品にご自分の名前をつけるとは粋な計らいである。あえて“遊び心”と呼ばせていただくこうした柔軟な姿勢がまた次なる展望への足がかりになっていくのかもしれない。
 蔵を見学させていただいたとき、賞に輝いた大吟醸も試飲させていただいた。
 確かにうまい! ふくよかな香りとまろやかでやさしい味は素晴らしいと思う。
 その一方できんの介もまた、初しぼりらしい若々しさと柔らかな旨みに富んでいた。もちろん杉井社長が力を入れている山廃も、これまでの静岡型のお酒にはあまり見られない深い味わいがある。
 杉井社長の様々な思いが次々と形になって現れているのだ。
 これからも杉井社長は杜氏と社長業を兼任しつつ、多種多様な旨い酒を造っていくことだろう。しかしくれぐれもあまり無理をしすぎない範囲で、我々やお客様にうまい酒を提供していただきたい。

 杉井酒造 有限会社
 天保十三(1842)年の創業。豪農杉井本家から分家した杉井才助が、高洲村(現・藤枝市小石川町)で酒造を始めた。酒銘は明治中期まで「亀川」、大正期まで「杉正宗」、昭和初期になって「杉錦」となる。
 今でも昔ながらの甑(コシキ)を使った蒸し米と手造りによる伝統的な麹造りで、丁寧な酒造りをしています。静岡型の吟醸造りを基本としながら、淡麗な酒から味ののった酒まで自慢の酒を各種取り揃えております。
 平成12年度(酒造年度は7月1日から翌年6月30日までの一年間)の造りから、いままで長年お願いしていた杜氏(南部杜氏)を招かず、社長自ら先頭に立ち社員達と妥協しない、納得のいく酒造りを行っております。
杉井酒造ホームページより
普通酒から大吟醸まで、お好みに合う杉錦のお酒をお楽しみください。
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